戸隠神社へ向かう
11月28日の行動です。
朝8時、長野市内に到着して相棒を下ろし、数箇所の展望スポットを経て戸隠神社へ向かいました。
20数年前に一度だけ奥社にお参りして中社近くの蕎麦屋で蕎麦や蕎麦がきを食べた記憶があります。
戸隠神社は宝光社、火之御子社、中社、九頭龍社、奥社の五つの社からなる神社で2千年に及ぶ歴史があるのだそうです。
奥社、中社意外は存じ上げませんでした、。
奥社、中社意外は存じ上げませんでした、。
お参りする順序というかしきたりみたいなものがあるのだと思いますが、なんの予備知識も入れないまま”戸隠神社の駐車場”をGoogleナビにお願いて向かったので、最初は奥社に到着です。
雪色一色の奥社
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戸隠神社 奥社 大鳥居 |
駐車場から歩いてすぐのところに大鳥居があります。
駐車場は有料で1回600円です。
このあたり、標高はおよそ1,200mくらいだそうです。
大鳥居の横幅同等の参道なのですが、ご覧の様に一面の雪。
人一人分の踏み固められた通路が2本。
人一人分の踏み固められた通路が2本。
ところどころ1本になるのですれ違い用にあちこちに踏み固められた退避スペースがあって、皆さん譲り合いながら上り下りしていました。
3分の1くらい進んだあたりで前後を写してみました。
ひたすら続く雪道の先には何も見えません。
どちらが奥社側でどちらが鳥居川なのかすらはっきりしません。
明治以前はもともとお寺だったそうで、当時で言えば仁王門なのでしょうね。
かつては仁王様がまつられていたそうですが、その仁王様は今は善光寺の寛慶寺本堂内に安置されているのだそうです。
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前も後ろも雪ばかり1 |
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前も後ろも雪ばかり2 |
3分の1くらい進んだあたりで前後を写してみました。
ひたすら続く雪道の先には何も見えません。
どちらが奥社側でどちらが鳥居川なのかすらはっきりしません。
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随神門 |
明治以前はもともとお寺だったそうで、当時で言えば仁王門なのでしょうね。
かつては仁王様がまつられていたそうですが、その仁王様は今は善光寺の寛慶寺本堂内に安置されているのだそうです。
茅葺き屋根から垂れ下がる茶色のつららが見事です。
戸隠神社の中で最も古い建物だそうです。
戸隠神社の中で最も古い建物だそうです。
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左の随神さま |
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右の随神さま |
雪崩で崩壊した奥社は、1979年に建てられたコンクリート製で見るからに頑丈な建物ですが、ちょっと有り難みが薄いかもしれません(個人的な感想です)。
このあたりの標高は1,340mとのことです。
本殿前の階段の雪(氷)かきをされていた神職の方に伺ったところ、24日に1度雪が降り、この28日の朝の雪と合わせておよそ40cmの積雪だということでした。
参道は片道約2Kmです。
雪道でしたので、おそらく通常の2倍くらいの時間を要したのでは無いでしょうか。
雪道でしたので、おそらく通常の2倍くらいの時間を要したのでは無いでしょうか。
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奥社往復 |
登り32分、下り26分となっていました。
汗だくでした。
ちなみに、鏡池へも行こうとしたのですが、アクセス道路が通行止めで行くことができませんでした。
九頭龍社
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九頭龍社 |
奥社のそばにあります。
奥社より創建が古く、地主神様を祀っているのだそうです。
中社
参拝客用の無料駐車場があります。
正面参道の階段は雪で閉鎖中でした。
宝光社
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宝光社石段 |
鳥居のはるか彼方まで続く石段は270段ほどあるのだそうです。
下から見上げると気が遠くなるような高さです。
雪が凍りついているのでとても怖かったです。
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宝光社 |
戸隠の中では一番立派で荘厳なお社ではないかと思います。
軒下の細工がすごいです。
火之御子社
宝光社から歩いて行きましたが、思ったより距離があって雪道なのでしんどかったです。
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火之御子社 |
一番簡素なお社です。
五社巡り完了
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戸隠五社巡り |
歩いて巡っている方が大勢いらっしゃいました。
自分は宝光社と火之御子社の往復を歩いた意外は車で移動させていただきました。
自分は宝光社と火之御子社の往復を歩いた意外は車で移動させていただきました。
それでもこの日は16,000歩歩きました。
無心でお祈りしましたが、来年は良い年でありますように。
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