竹千代通り散策
10月8日土曜日の夕方ホテルにチェックインしました。
ホテル前の広い通りを南へ渡って少し歩くと”乙川”という大きな川に出ます。
広い河川敷へ降りる階段には「BBQ禁止」の立て看板がありましたが、対岸の広大な河川敷にはたくさんのテントが張られた一角があり、その横では盛大な焚火パーティー(?)イベントの焚火がいくつも燃えていました。
竹千代通りから眺める乙川と鉄橋と夕日 |
大きな乙川に沿って続く道路の名前は”竹千代通り”です。
家康の幼名ですね。
彼方に「名鉄名古屋本線」の鉄橋がかかっていて、頻繁に電車が往来していました。
その向こうに立つビルのそのまた向こうに沈む夕日がとてもきれいでした。
岡崎城
竹千代通りから神橋を渡って岡崎公園内に入ります。
お堀には大きな真鯉や錦鯉が悠然と泳いでいました。
改修工事中の岡崎城
「岡崎城」
改修工事中(2022年6月16日(木)~2023年1月20日(金))で近づくことができません。
この写真は通行止めのフェンス越しに撮っています。
時間的にもアウトだったんですが、ガラス窓がハメられているお城なので入れなくても残念感はありません。
ちなみに後で調べてみたら、昭和34年に再建された鉄筋コンクリート製の3層5階構造だそうです。
東照公遺訓碑 |
有名な例の遺訓を掘った碑を厳しい顔をした亀が背負っていました。
まさに”重荷を負うて”歯を食いしばり堪忍する図といったところでしょうか。
デカいです。
家康公遺言碑 |
「政権が他家に移っても民が幸せならば、本意であり恨みに思うことはない」という趣旨の遺言が刻まれているのだそうです。
本音でしょうか・・・
本物の城
明治6年の「廃条令」で取り壊される以前の岡崎城の姿や価値は知る由もありません。
悪令によって多くのお城が取り壊されたことはとても残念です。
明治5年に競売にかけられ解体の危機にあった松本城が、地元の有志によって買い取られ守られたおかげで現在の国宝5城の一角にあることは本当に喜ばしいことです。
10月初めに目に留まった「PRESIDENT Online」の記事のリンクを張り付けておきます。
この記事によれば、上の写真に写っている天守最上階のガラス窓の外側を取り巻く赤い手摺の廻縁もかつてはなかったものだということです。
(真偽のほどはご自分でご確認ください)
(真偽のほどはご自分でご確認ください)
自分はお城マニアではありませんが、鉄筋コンクリート製であったり、アルミサッシがはめ込まれた窓や板張りではない床などのお城は観光施設ではあっても史跡ではないし、歴史の息遣いを感じることもありません。
国宝5城はいずれも訪れたことがありますが、”現存12天守”の残りの7城はまだ行っていないところがあるので、いずれは行ってみたいと思っています。
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